あんず飴を流れる時間

今年の夏はお祭りづいている。
上京してからこちら東京の祭りというものにほとんど行ったことはなかったけれど、なんと今年は3回、そのうち2回は何年ぶりかの浴衣を着て出かけた。

7月は鶴見の曹洞宗のお寺、總持寺のみ霊祭り。
8月は築地本願寺の盆踊りと、錦糸町河内音頭大盆踊り。

總持寺では花火も上がった。
「綺麗」とか「大きいね〜」ではなく
「近い!!」「怖い!!!」というカオスな花火。
若いお坊さんたちがとり仕切る盆踊り大会はアバンギャルドで楽しかった。

花火といえば、忘れようにも忘れられない思い出。

大昔、当時勤めていた職場の上司が飄々とした人で、時々残業途中で夜ご飯に、焼肉に連れてもらって行ったりしていた。
8月だったと思う、その日は確か誰かの異動があって、外には行けないからとオフィスで寿司を取ってつかの間の歓送迎会をしていた時だった。

上司に「安達さんこっち」と呼ばれて、言われるままについていき、その部署で一番偉い人の部屋に入っていくと、ドン、ドンという音とともに外で花火が上がっていた。

明かりもつけずに、当たり前のようにその偉い人の椅子に座った。
ここは上司が見つけた花火見物の特等席なんだな、と察した。
何も言わず楽しそうな穏やかな目で見ていた上司と、まあいいか、と放心した顔でただ夜空を見ていたまだ若い頃の私。

あの謎の瞬間は忘れようにも忘れられない。
いろんなところで、やさしい人はいる。






東京のお祭り。
浴衣を着て電車に乗って、祭りの会場に向かう時は毎回、ひまわり畑の中で微笑むコーギーを眺めるような、楽しい気持ちがした。

東京のお祭り事情に疎かった私は、とにかくおしゃれな若い人やノリノリの会社員風男性たちの多さにびっくりした。「盆踊りなんてこっ恥ずかしい…」みたいな人はおらず(そもそもそんな人は来ないのかもしれないけど)、
伝統的なものをかっこいい、どこか新鮮で新しいものとして認めて賛美して楽しんでいる感じがあった。

会場はダンスフロアみたいになって、終盤にはアンコールさえ起きる。
これはもうフェスなのでは…と思うけれど、踊りはバッチリとトラディショナルボンダンス。

盆踊りは不思議なもので、踊りが人々を呑み込む瞬間がある。
若い人や初参加の人などは最初は踊りがわからないから適当にぎこちなく動いているのだけど、年長者の人ややたら上手い人を見ているうちに、まるで憑依されるみたいに動けるようになる。
それが一人だけじゃなくて、集団として起こる。盆踊りなんてしなさそうな若い人たちもびっくりするくらい快活に、あるいは艶かしく踊りをきめていく。
老いも若きも誰でも参加できる盆踊りだけど、そのうちなんだかんだで盆踊り自体のDNAみたいなものが、踊っている人たちを取り込んでしまうみたいで面白い。

サンバカーニバルみたいに、日本にいる人がワクワクと楽しみに待つような踊りはちゃんとあった。
来年は郡上八幡の徹夜踊りにも行ってみたいし、何より実家の集落の盆踊りの口説き節を延々と踊りたい。(子供の頃、ムラのお年寄りたちがいきなり俊敏に動き始めるのでびっくりした)
もっともっと、日本の「土着」の「今」を感じにいろんなところに行ってみたいと思う。







河内音頭が終わった次の日から、思わぬボンダンスロス。
夏の終わりそのものみたいに急に吹き始めた秋風を愛でながら、秋はどんな服装をしようかな、なんて少し浮かれながらも、怒涛の制作の毎日。

今日はちょうど日本に帰ってきた友人が遊びにきていて、部屋で寝ていたら彼女が突然「お祭り!」と叫んだ。
確かに何か聴こえる。なんだろうと思って窓から見ると、祭り囃子とともに坂道を提灯が先導するお神輿が登ってきた。
夕暮れ時の祭り囃子に、外に出てお神輿のあとをついていくと、近所にある神社の例大祭だった。
そんなに大きな境内ではないから数は少ないけれど本格的な屋台が揃っていて、友人は「ここに全てが詰まってるね」と言った。

綿あめ、金魚すくい、焼きそば、タコ焼き、イカ焼き、着色料がすごいあんず飴。

初めて食べるあんず飴を口に入れると、飴の粘度が絶妙に重く、
モチャ…モチャ…と口を動かすその間、友達が何を話しかけてきてもまともに返事ができなくて、流れる時間がスローモーションになるのが面白かった。

朦朧としている間にあっという間に終わってしまった今年の夏。
宝物のような思い出が細かく細かく、砂金のようにたくさん散りばめられた、良い夏だった。




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